YouTube一覧 [日記]
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YouTube(mejilonチャンネル)の一覧です
昔の8mmフィルム
●1965(昭和40年)頃の大分市
●1965.8.8(昭和40年) 大分駅南口~大在駅~日吉原海水浴場
●1973(昭和48年) 日出町立 日出中学校 運動会
●1974(昭和49年) 大分県日出町
●1978(昭和53年) メイプル耶馬サイクリングロード(大分県中津市)
昔のレコード
●1964 「東京五輪音頭」 藤山一郎
●1966 大分国体讃歌
●1966 ねむの木の子もり歌
●1963(昭和38年) ペギー葉山「大銀ポルカ」大分銀行の歌
別府市~由布院(バイク)
●2017.4.30 別府から由布院へ1/3(横断道路入口~別府IC)4K
●2017.4.30 別府から由布院へ2/3(別府IC~猪の瀬戸)4K
●2017.4.30 別府から由布院へ3/3(猪の瀬戸~由布院金鱗湖)4K
●2017.4.30 JR由布院駅から駅前通へ 4K
別府市浜脇バイパス(バイク)
●2017.1.9 別府市 浜脇バイパス 4K
●2017.1.9 別府市浜脇~大分大学医学部まで15分 4K
●2016.7.23 別府市 浜脇バイパス
大分市=別府市(別大国道)(バイク)
●2017.4.30 国道10号 大分市~別府市(別大国道)4K
●2016.7.23 国道10号 大分市~別府市(別大国道)
大分市 都市計画道路「庄の原佐野線」、宗麟大橋
●2018.1.20 大分市 宗麟大橋開通「自転車で歩道を通ってみた」4K
●2018.1.20 大分市 宗麟大橋開通「自転車で通ってみた」4K
●2018.1.14 大分市 宗麟大橋開通"1番乗り"(1往復半)(バイク) 4K
●2018.1.8 大分市 宗麟大橋開通記念ウオーク 4K
●2018.1.8 大分市 宗麟大橋開通記念ウオーク(往復) 4K
●2017.12.20《工事中》大分市 都市計画道路「庄の原佐野線」(自転車)4K
●2017.11.19 大分市 宗麟大橋見学会(下郡側から) 4K
●2017.11.19 大分市 宗麟大橋見学会(橋上から) 4K
●2017.9.18『宗麟大橋』大分市 都市計画道路「庄の原佐野線」元町・下郡工区 4K
●2016.12.18 大分市元町 国道10号跨道橋工事中(自転車) 4K
●2016.12.18 大分市元町 国道10号跨道橋工事中(自転車) 4K
●2016.12.18 大分市 宗麟大橋見学会 4K
●2016.12.18 大分市 宗麟大橋見学会 4K
●2016.12.18 大分市 宗麟大橋見学会 4K
●2017.3.25 大分市 都市計画道路「庄の原佐野線」元町・下郡工区(自転車) 4K
●2017.1.3 庄の原佐野線 大分市元町~大分IC(バイク) 4K
●2016.8.14 庄の原佐野線 大分市東元町交差点(バイク) 4K
●2016.8.12 庄の原佐野線 大分市椎迫入口~東元町交差点(自転車) 4K
●2016.5.21 新大分川架橋見学会(「庄の原佐野線」大分市元町・下郡工区)
大分市 都市計画道路「中島錦町線」
●2017.12.20《全線開通》大分市 都市計画道路「中島錦町線」(自転車) 4k
●2017.3.25《一部開通》大分市錦町「中島錦町線」(自転車) 4K
●2017.2.25《工事中》大分市錦町~長浜町「中島錦町線」(自転車) 4K
大分市内
●2020.2 大分市内から冠雪の阿蘇を見る
●2020.2 大分市内から阿蘇高岳、根子岳を見る
●2017.9.18 大分市役所前歩道橋(徒歩) 4K
●2017.9.18 大分市 都市計画道路「庄の原佐野線」元町・下郡工区(自転車) 4K
●2017.9.18 大分駅上野の森口~セントポルタ中央町~ガレリア竹町~オアシスタワー(自転車) 4K
●2017.9.18 大分市役所前歩道橋(自転車) 4K
●2017.9.18 大分駅上野の森口~中央通り~大分駅(自転車) 4K
●2017.5.5 大分駅前~大分港(バイク) 4K
●2017.5.5 国道197号(昭和通り)大分市(バイク) 4K
大分市 上野丘(TV)
●2002.2.26放送 おおいた地名探検「律院」
●1997.10.18放送 金剛宝戒寺(大分市) 大日如来像修復・落慶法要ニュース
イベント、講演会
●1988.5.28 日野原重明 講演会「死と老いと生への道」 コンパルホール(大分)
●2017.4.2別府 東京ディズニーリゾート・スペシャルパレード 4K
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昔の8mmフィルム
●1965(昭和40年)頃の大分市
●1965.8.8(昭和40年) 大分駅南口~大在駅~日吉原海水浴場
●1973(昭和48年) 日出町立 日出中学校 運動会
●1974(昭和49年) 大分県日出町
●1978(昭和53年) メイプル耶馬サイクリングロード(大分県中津市)
昔のレコード
●1964 「東京五輪音頭」 藤山一郎
●1966 大分国体讃歌
●1966 ねむの木の子もり歌
●1963(昭和38年) ペギー葉山「大銀ポルカ」大分銀行の歌
別府市~由布院(バイク)
●2017.4.30 別府から由布院へ1/3(横断道路入口~別府IC)4K
●2017.4.30 別府から由布院へ2/3(別府IC~猪の瀬戸)4K
●2017.4.30 別府から由布院へ3/3(猪の瀬戸~由布院金鱗湖)4K
●2017.4.30 JR由布院駅から駅前通へ 4K
別府市浜脇バイパス(バイク)
●2017.1.9 別府市 浜脇バイパス 4K
●2017.1.9 別府市浜脇~大分大学医学部まで15分 4K
●2016.7.23 別府市 浜脇バイパス
大分市=別府市(別大国道)(バイク)
●2017.4.30 国道10号 大分市~別府市(別大国道)4K
●2016.7.23 国道10号 大分市~別府市(別大国道)
大分市 都市計画道路「庄の原佐野線」、宗麟大橋
●2018.1.20 大分市 宗麟大橋開通「自転車で歩道を通ってみた」4K
●2018.1.20 大分市 宗麟大橋開通「自転車で通ってみた」4K
●2018.1.14 大分市 宗麟大橋開通"1番乗り"(1往復半)(バイク) 4K
●2018.1.8 大分市 宗麟大橋開通記念ウオーク 4K
●2018.1.8 大分市 宗麟大橋開通記念ウオーク(往復) 4K
●2017.12.20《工事中》大分市 都市計画道路「庄の原佐野線」(自転車)4K
●2017.11.19 大分市 宗麟大橋見学会(下郡側から) 4K
●2017.11.19 大分市 宗麟大橋見学会(橋上から) 4K
●2017.9.18『宗麟大橋』大分市 都市計画道路「庄の原佐野線」元町・下郡工区 4K
●2016.12.18 大分市元町 国道10号跨道橋工事中(自転車) 4K
●2016.12.18 大分市元町 国道10号跨道橋工事中(自転車) 4K
●2016.12.18 大分市 宗麟大橋見学会 4K
●2016.12.18 大分市 宗麟大橋見学会 4K
●2016.12.18 大分市 宗麟大橋見学会 4K
●2017.3.25 大分市 都市計画道路「庄の原佐野線」元町・下郡工区(自転車) 4K
●2017.1.3 庄の原佐野線 大分市元町~大分IC(バイク) 4K
●2016.8.14 庄の原佐野線 大分市東元町交差点(バイク) 4K
●2016.8.12 庄の原佐野線 大分市椎迫入口~東元町交差点(自転車) 4K
●2016.5.21 新大分川架橋見学会(「庄の原佐野線」大分市元町・下郡工区)
大分市 都市計画道路「中島錦町線」
●2017.12.20《全線開通》大分市 都市計画道路「中島錦町線」(自転車) 4k
●2017.3.25《一部開通》大分市錦町「中島錦町線」(自転車) 4K
●2017.2.25《工事中》大分市錦町~長浜町「中島錦町線」(自転車) 4K
大分市内
●2020.2 大分市内から冠雪の阿蘇を見る
●2020.2 大分市内から阿蘇高岳、根子岳を見る
●2017.9.18 大分市役所前歩道橋(徒歩) 4K
●2017.9.18 大分市 都市計画道路「庄の原佐野線」元町・下郡工区(自転車) 4K
●2017.9.18 大分駅上野の森口~セントポルタ中央町~ガレリア竹町~オアシスタワー(自転車) 4K
●2017.9.18 大分市役所前歩道橋(自転車) 4K
●2017.9.18 大分駅上野の森口~中央通り~大分駅(自転車) 4K
●2017.5.5 大分駅前~大分港(バイク) 4K
●2017.5.5 国道197号(昭和通り)大分市(バイク) 4K
大分市 上野丘(TV)
●2002.2.26放送 おおいた地名探検「律院」
●1997.10.18放送 金剛宝戒寺(大分市) 大日如来像修復・落慶法要ニュース
イベント、講演会
●1988.5.28 日野原重明 講演会「死と老いと生への道」 コンパルホール(大分)
●2017.4.2別府 東京ディズニーリゾート・スペシャルパレード 4K
大分市内から阿蘇山が見える? [日記]
以前に元職場の先輩Mさんから、阿蘇根子岳から望遠レンズで撮った写真を見せていただきましたが、そこには一部ですが確かに大分市内が写っていました。
ということは大分市内からも阿蘇根子岳が見えるはず。
そこでGoogle mapで調べたら大分市鶴崎あたりから見えそうです。
(もちろん高い山やビルの上からは、見えやすいかも知れませんがあくまで平地からの眺めとしての阿蘇山です)
それがこの画像 Google mapから
そこで実際に撮った映像がこれです(冠雪しています)距離は、約68km(撮影地点~阿蘇高岳)撮影:2020年2月
別の日に撮った映像(右が阿蘇高岳、左が阿蘇根子岳)
写真です
ここから撮りました(乙津川河口右岸)
ちなみに大分県庁14階からは、日によっては噴煙を見ることはできますが阿蘇山は見えません。
【参考】
大分県竹田市の久住山から見た雲仙です
これは、大分~阿蘇より遠くて、約95kmの距離です
九重連山久住山から 2011.1.8撮影
九重中岳から 2011.1.8撮影
位置図
ということは大分市内からも阿蘇根子岳が見えるはず。
そこでGoogle mapで調べたら大分市鶴崎あたりから見えそうです。
(もちろん高い山やビルの上からは、見えやすいかも知れませんがあくまで平地からの眺めとしての阿蘇山です)
それがこの画像 Google mapから
そこで実際に撮った映像がこれです(冠雪しています)距離は、約68km(撮影地点~阿蘇高岳)撮影:2020年2月
別の日に撮った映像(右が阿蘇高岳、左が阿蘇根子岳)
写真です
ここから撮りました(乙津川河口右岸)
ちなみに大分県庁14階からは、日によっては噴煙を見ることはできますが阿蘇山は見えません。
【参考】
大分県竹田市の久住山から見た雲仙です
これは、大分~阿蘇より遠くて、約95kmの距離です
九重連山久住山から 2011.1.8撮影
九重中岳から 2011.1.8撮影
位置図
1960年代のレコード [音楽]
2020年、いよいよ東京オリンピック・パラリンピックの年です。
ここで古いレコードから
前回、昭和39年(1964)の東京オリンピック当時に発売された「東京五輪音頭」です。
いろいろな人が歌ったみたいですが一般的には三波春夫が有名ですよね。
家にあったのは藤山一郎が歌ったもの。東京音楽学校(後の東京藝術大学音楽学部)を首席で卒業されただけあって声楽的な歌い方ですね。
当時200円だったようです。このころレコードは、廉価版のソノシートというペラペラのビニール製のレコードがよく売られていてアニメや雑誌の付録などにも使われていました。
ついでにほかのレコードからいくつかを
まずは大分国体のときのもの。
大分国体は、2巡目が2008年に第63回大会として開催されましたが、これは前回1966年の第21回大会のときに製作されたものです。歌っているのは、このあとタレントとしても活躍された大分市出身の立川清登です。
次は、ねむの木の子もり歌
作詞されたのは、上皇后美智子さまです。
作曲は山本正美で、編曲は夫である山本直純です。
昭和41年(1966)?にかつてあった婦人雑誌「主婦と生活」6月号の付録として付いていたものです。
最後に「大銀ポルカ」
昭和37年(1962)に大分銀行の創立70周年を記念して作られたレコードで作詞作曲は、米山正夫で、美空ひばりの『リンゴ追分』や水前寺清子『三百六十五歩のマーチ』、『ヤン坊マー坊の唄』などを作曲した人です。
歌は、「ドレミの歌」や「南国土佐を後にして」で有名なペギー葉山です。
【番外編】
最初に東京五輪音頭を紹介しましたが、2020でもこれ使われているんですね。
ここで古いレコードから
前回、昭和39年(1964)の東京オリンピック当時に発売された「東京五輪音頭」です。
いろいろな人が歌ったみたいですが一般的には三波春夫が有名ですよね。
家にあったのは藤山一郎が歌ったもの。東京音楽学校(後の東京藝術大学音楽学部)を首席で卒業されただけあって声楽的な歌い方ですね。
当時200円だったようです。このころレコードは、廉価版のソノシートというペラペラのビニール製のレコードがよく売られていてアニメや雑誌の付録などにも使われていました。
ついでにほかのレコードからいくつかを
まずは大分国体のときのもの。
大分国体は、2巡目が2008年に第63回大会として開催されましたが、これは前回1966年の第21回大会のときに製作されたものです。歌っているのは、このあとタレントとしても活躍された大分市出身の立川清登です。
次は、ねむの木の子もり歌
作詞されたのは、上皇后美智子さまです。
作曲は山本正美で、編曲は夫である山本直純です。
昭和41年(1966)?にかつてあった婦人雑誌「主婦と生活」6月号の付録として付いていたものです。
最後に「大銀ポルカ」
昭和37年(1962)に大分銀行の創立70周年を記念して作られたレコードで作詞作曲は、米山正夫で、美空ひばりの『リンゴ追分』や水前寺清子『三百六十五歩のマーチ』、『ヤン坊マー坊の唄』などを作曲した人です。
歌は、「ドレミの歌」や「南国土佐を後にして」で有名なペギー葉山です。
【番外編】
最初に東京五輪音頭を紹介しましたが、2020でもこれ使われているんですね。
2018.1.14 大分市 宗麟大橋開通"1番乗り" [ビデオ]
ついに「庄の原佐野線 宗麟大橋」が開通しました
午後4時から一般開通で、下郡側からバイクで通ったのですがなんと一番乗りでした。
その後、自転車でも通ってみました。
カメラ SONY FDR-X3000
午後4時から一般開通で、下郡側からバイクで通ったのですがなんと一番乗りでした。
その後、自転車でも通ってみました。
カメラ SONY FDR-X3000
2017.12.20《全線開通》大分市 都市計画道路「中島錦町線」 [ビデオ]
2017/12/20
13:00から都市計画道路「中島錦町線」が全線開通しました。
国道197号(農業会館南交差点)から国道10号(錦町2丁目交差点)の間です。
3月25日に一部開通(国道10号~外堀通りの間)していましたが、今回全線開通です。
カメラ SONY FDR-X3000
13:00から都市計画道路「中島錦町線」が全線開通しました。
国道197号(農業会館南交差点)から国道10号(錦町2丁目交差点)の間です。
3月25日に一部開通(国道10号~外堀通りの間)していましたが、今回全線開通です。
カメラ SONY FDR-X3000
昭和40年の大分駅 [ビデオ]
7年ぶりのブログ更新です!!
昭和40年(1965)8月8日に家族で日吉原海水浴場に行った時の8mmです。
この時代8mmと言ってもビデオではなく8mmフィルムです。
父が撮影してます。
自家用車はそれほど普及していなかったので海に行くときは、国鉄で大在、坂ノ市方面か、当時大分から別府亀川間を走っていた別大電車で田ノ浦、白木へ泳ぎに行っていました。
このフィルムでは、当時の「大分駅南口」(現在の「上野の森口」)や大在駅付近、日吉原海水浴場が写っています。
日吉原海水浴場は、今はもう埋め立てられて無くなりましたが坂ノ市駅を降りてすぐの所だったような記憶があります。大分東高校も当時は、駅近くにありました。
日吉原海水浴場の記事、PRが昔の市報にもでています。ここをクリック。
今の大分駅です。
大分駅から中央通りを通って昭和通りでターンし再び大分駅まで4Kビデオで撮影しました。
これは、再度大分駅からセントポルタ中央町~ガレリア竹町を通ってオアシスタワーまでです。
昭和40年(1965)8月8日に家族で日吉原海水浴場に行った時の8mmです。
この時代8mmと言ってもビデオではなく8mmフィルムです。
父が撮影してます。
自家用車はそれほど普及していなかったので海に行くときは、国鉄で大在、坂ノ市方面か、当時大分から別府亀川間を走っていた別大電車で田ノ浦、白木へ泳ぎに行っていました。
このフィルムでは、当時の「大分駅南口」(現在の「上野の森口」)や大在駅付近、日吉原海水浴場が写っています。
日吉原海水浴場は、今はもう埋め立てられて無くなりましたが坂ノ市駅を降りてすぐの所だったような記憶があります。大分東高校も当時は、駅近くにありました。
日吉原海水浴場の記事、PRが昔の市報にもでています。ここをクリック。
今の大分駅です。
大分駅から中央通りを通って昭和通りでターンし再び大分駅まで4Kビデオで撮影しました。
これは、再度大分駅からセントポルタ中央町~ガレリア竹町を通ってオアシスタワーまでです。
1988.5.28 日野原重明 講演会「死と老いと生への道」音声のみ [ビデオ]
日野原重明先生は、1911年(明治44年)山口県に生まれ、牧師であった父 日野原善輔氏とともに1~3才(大正2年4月~4年3月)までを当時大分教会のあった大分市荷揚町で過ごされました。
その時のお話も交えながらの講演でした。(当時76才)
日本キリスト教団 大分教会(大分市舞鶴町)
創立100周年記念講演会
「死と老いと生への道」
聖路加看護大学学長 日野原重明
1988年5月28日 コンパルホール(大分市)
その時のお話も交えながらの講演でした。(当時76才)
日本キリスト教団 大分教会(大分市舞鶴町)
創立100周年記念講演会
「死と老いと生への道」
聖路加看護大学学長 日野原重明
1988年5月28日 コンパルホール(大分市)
まこも(蒋)ヶ池~大分市~ [史蹟]
大臣塚古墳からさらに北へ300mほどの所に「まこも(蒋)ヶ池」はあります。
大きな木の向こう側にあります。
池といっても水は、見えませんでした。雨が降ったら水がたまるかも。
昔は大きな池だったのでしょうね。(私の愛車が写ってます(^_^;))
説明書きです。
まこも(蒋)ヶ池の由来記 所在地 大分市元町五組
伝説によるといまから1200年前の昔、嵯峨天皇の時代のことです。このころ豊後の上野丘の地に、百合若大臣という鉄の大弓を使っていた大変力の強い国主が住んでいました。百合若の父は左大臣の公光という偉い方でした。当時、百合若は勅命で蒙古を討つために部下を連れて筑紫の国に向かい対馬の沖で敵と戦い大勝しました。帰りの途中に玄海の島で休憩をとり深い眠りにつきました。
家臣の別府兄弟は百合若を捨てて部下を引き連れ豊後の地に帰り着きました。そこで百合若は海上で戦死したことにして別府太郎が国主になり、栄華な生活をおくることになりました。
国主になった太郎は、百合若の妻に心を寄せて無理矢理に自分に従わせようとしました。
それでも言うことを聞かないので最後の手段として、屋敷の側にあった広いまこも池に御台所をす巻きにして沈める計画をたてました。このことを知った屋敷の門番の翁が、ひそかに自分の娘の萬寿姫を御台所の身代わりとして池に入水させて百合若の妻を助けました。
一方御台所は背の君の死に疑問を持ち、百合若が育てた鷹の足に文を着けて放しました。
島に残されていた百合若のもとに鷹が着いたことで事情が判り、別府兄弟の逆心を知った百合若は苦労をして豊後に帰り鉄の弓で別府兄弟を討ち、再び国主になりました。
百合若は妻の身代わりとなった萬寿姫の苦節を悼み入水した池の側にお寺を建立しました。そしてまこも池と姫に因んで蒋(まこも)山萬寿寺と号するようになりました。
百合若大臣の亡骸は、この池の南の丘にある大臣塚に葬られています。なお大友中興の祖といわれた十代目の大友親世がこの地で亡くなりました。
昔の萬寿寺の旧跡はこの地になります。現在の若宮神社に通ずる旧道と大分川のほぼ中間に位置し大臣塚・まこも池・瑞光寺等も含めて広大な寺城を形成していました。盛時は豊後第一の禅寺で海内でも有数な寺院でしたが戦国時代に戦火の犠牲となり消失しました。平成5年の現在地でみると東北の方向に見える帆秋病院の辺りも境内の一部になります。
なお広大であった往事の萬寿寺のことが刻字された「大乗妙典一石一字之塔」の石碑が豊永3年(1707)に建立されており現在も帆秋病院の裏庭に大切に保存されています。
大臣塚と萬寿姫の祭祀は、毎年10月2日に萬寿寺が行っています。
参考資料「豊府古蹟研究」(郷土史蹟伝説研究会編)
平成5年6月吉日 蒋山萬寿寺
大友中興の祖といわれた十代目の大友親世のお墓だそうです。
反対側から。
大きな木の向こう側にあります。
池といっても水は、見えませんでした。雨が降ったら水がたまるかも。
昔は大きな池だったのでしょうね。(私の愛車が写ってます(^_^;))
説明書きです。
まこも(蒋)ヶ池の由来記 所在地 大分市元町五組
伝説によるといまから1200年前の昔、嵯峨天皇の時代のことです。このころ豊後の上野丘の地に、百合若大臣という鉄の大弓を使っていた大変力の強い国主が住んでいました。百合若の父は左大臣の公光という偉い方でした。当時、百合若は勅命で蒙古を討つために部下を連れて筑紫の国に向かい対馬の沖で敵と戦い大勝しました。帰りの途中に玄海の島で休憩をとり深い眠りにつきました。
家臣の別府兄弟は百合若を捨てて部下を引き連れ豊後の地に帰り着きました。そこで百合若は海上で戦死したことにして別府太郎が国主になり、栄華な生活をおくることになりました。
国主になった太郎は、百合若の妻に心を寄せて無理矢理に自分に従わせようとしました。
それでも言うことを聞かないので最後の手段として、屋敷の側にあった広いまこも池に御台所をす巻きにして沈める計画をたてました。このことを知った屋敷の門番の翁が、ひそかに自分の娘の萬寿姫を御台所の身代わりとして池に入水させて百合若の妻を助けました。
一方御台所は背の君の死に疑問を持ち、百合若が育てた鷹の足に文を着けて放しました。
島に残されていた百合若のもとに鷹が着いたことで事情が判り、別府兄弟の逆心を知った百合若は苦労をして豊後に帰り鉄の弓で別府兄弟を討ち、再び国主になりました。
百合若は妻の身代わりとなった萬寿姫の苦節を悼み入水した池の側にお寺を建立しました。そしてまこも池と姫に因んで蒋(まこも)山萬寿寺と号するようになりました。
百合若大臣の亡骸は、この池の南の丘にある大臣塚に葬られています。なお大友中興の祖といわれた十代目の大友親世がこの地で亡くなりました。
昔の萬寿寺の旧跡はこの地になります。現在の若宮神社に通ずる旧道と大分川のほぼ中間に位置し大臣塚・まこも池・瑞光寺等も含めて広大な寺城を形成していました。盛時は豊後第一の禅寺で海内でも有数な寺院でしたが戦国時代に戦火の犠牲となり消失しました。平成5年の現在地でみると東北の方向に見える帆秋病院の辺りも境内の一部になります。
なお広大であった往事の萬寿寺のことが刻字された「大乗妙典一石一字之塔」の石碑が豊永3年(1707)に建立されており現在も帆秋病院の裏庭に大切に保存されています。
大臣塚と萬寿姫の祭祀は、毎年10月2日に萬寿寺が行っています。
参考資料「豊府古蹟研究」(郷土史蹟伝説研究会編)
平成5年6月吉日 蒋山萬寿寺
大友中興の祖といわれた十代目の大友親世のお墓だそうです。
反対側から。
大臣塚古墳~大分市~ [史蹟]
元町石仏から300m程北に小さな古墳があります。
元町石仏から北へ歩いて行くと、「大臣塚古墳」の案内板があり左に登ると、また案内板がありそこからこんもりとした小さな森が見えます。そこが大臣塚古墳です。
古墳の登り口には、市の説明板がありました。
内容は、次の通り
大臣塚古墳(大分市上野東)
上野台地には多くの古墳があったが、市街地化等により、わずかにこの大臣塚を残している。この大臣塚は、百合若大臣にまつわる伝説によって、つけられたものである。
古墳の外形は前方後円墳であるが、現在は前方部が削平され前方部の一部と後円部が残っている。古墳の外側には周濠をめぐらしてあり、墳丘の基部に段を有し葺石を並べて封土の流失を防いでいる。
現存の墳丘は後円部の直径が約40m、高さ約13mで周囲に約10mの周濠を巡らしている。
外形状の特徴から、古墳時代中期(5世紀)のものである。
(昭和53年 大分市教育委員会)
そこから螺旋状の小道を上ると頂上には、お墓?みたいなものがありました。
向こう側には階段がありました。
元町石仏から北へ歩いて行くと、「大臣塚古墳」の案内板があり左に登ると、また案内板がありそこからこんもりとした小さな森が見えます。そこが大臣塚古墳です。
古墳の登り口には、市の説明板がありました。
内容は、次の通り
大臣塚古墳(大分市上野東)
上野台地には多くの古墳があったが、市街地化等により、わずかにこの大臣塚を残している。この大臣塚は、百合若大臣にまつわる伝説によって、つけられたものである。
古墳の外形は前方後円墳であるが、現在は前方部が削平され前方部の一部と後円部が残っている。古墳の外側には周濠をめぐらしてあり、墳丘の基部に段を有し葺石を並べて封土の流失を防いでいる。
現存の墳丘は後円部の直径が約40m、高さ約13mで周囲に約10mの周濠を巡らしている。
外形状の特徴から、古墳時代中期(5世紀)のものである。
(昭和53年 大分市教育委員会)
そこから螺旋状の小道を上ると頂上には、お墓?みたいなものがありました。
向こう側には階段がありました。
元町石仏~大分市~ その2 [寺社]
元町石仏~大分市~ [寺社]
大分県には、国宝臼杵石仏をはじめとする数多くの石仏があります。
ここで紹介する大分市にある「元町石仏」は、大分駅から南西約2㎞ほどの丘陵地の縁にあります。
入り口はガラス張りになっています。
内側から見るとこんな感じ。
これが本尊の薬師如来坐像です。12世紀(平安時代後期)の制作と推定されています。
高さは、3mぐらいでしょうか。
お顔です。
県庁所在地の駅から2㎞ほどの位置にこのような石仏があるのは、非常に珍しいのではないでしょうか。
ここで紹介する大分市にある「元町石仏」は、大分駅から南西約2㎞ほどの丘陵地の縁にあります。
入り口はガラス張りになっています。
内側から見るとこんな感じ。
これが本尊の薬師如来坐像です。12世紀(平安時代後期)の制作と推定されています。
高さは、3mぐらいでしょうか。
お顔です。
県庁所在地の駅から2㎞ほどの位置にこのような石仏があるのは、非常に珍しいのではないでしょうか。
文殊仙寺~大分県国東市~ [寺社]
1週間前の日曜日、文殊仙寺というお寺に行ってきました。
国東は、昔から六郷満山文化といって神仏混合の文化が栄えた場所です。
※詳しくは、ココ(国東市観光協会)
地図です。
入口の案内板
その隣の参道入口 日本三大文殊の一つだそうです。
少し登ると2体の仁王様が迎えてくれます。
右の仁王様
山門をくぐり上から見下ろす。ちょうど2日前から降った雪が残ってます。九州でも山間部は、こうして雪が残る時があります。
これが本殿です。絶壁の下にへばりつくように建っています。
それからさらに登ると16羅漢が人知れず。(写真は16人いないようですが?どこか出かけているんでしょうかネ)
一体の大きさは、30センチぐらいだったかな?
少し戻り山門の横を左に展望の良いところがありました。
中国地方山口県の方でしょうか、この日はかすかに見えました。
国東は、昔から六郷満山文化といって神仏混合の文化が栄えた場所です。
※詳しくは、ココ(国東市観光協会)
地図です。
入口の案内板
その隣の参道入口 日本三大文殊の一つだそうです。
少し登ると2体の仁王様が迎えてくれます。
右の仁王様
山門をくぐり上から見下ろす。ちょうど2日前から降った雪が残ってます。九州でも山間部は、こうして雪が残る時があります。
これが本殿です。絶壁の下にへばりつくように建っています。
それからさらに登ると16羅漢が人知れず。(写真は16人いないようですが?どこか出かけているんでしょうかネ)
一体の大きさは、30センチぐらいだったかな?
少し戻り山門の横を左に展望の良いところがありました。
中国地方山口県の方でしょうか、この日はかすかに見えました。